暢子の東京行きが決まり、暢子と早苗も高校の卒業を待つ日々。同級生との別れや家族との別れは切ないですが旅立ちの別れは弱々しいものではありません。
人生いろいろ暢子の人生がどのように進むのか、ちむどんどんするのかを願いながら沖縄での最後の時間を過ごしてもらいたいものです。
ちむどんどん25話ネタバレ沖縄山原最後の時間
暢子に対する正男の恋こころに変化がありました
暢子の高校生活も終わりを迎えようとしています。暢子は東京へ料理人を目指して、早苗は東京の大学へ、正男はブラジルへとみんな目指すところで新たな生活が始まります。

正男:暢子のことが、好きだったのによ〜って自分に言い聞かせるかのようにつぶやきます。
正男は暢子のことが好きだったけど、暢子の頑張ってる姿を見てたらそんなことどうでも良くなった。暢子は暢子のまま、俺は俺のままでいいって思うようになったんだと。暢子の頑張りは周りにいい影響をあたえてるってことなのでしょう。
歌子は下地響子から芭蕉布の歌を歌ってみてと言われる

下地響子:沖縄では昔、三線は男の楽器でした。女が三線を引くのは本職の芸人だけ。これからは男も女も関係ない。音楽にちむどんどんするか、しないか。それだけさ!
海の青さに 空の青 南の風に 緑葉の 芭蕉は 情けに 手を招く
常夏の国 我した島 沖縄
下地響子は三線をひき歌子に音楽を楽しみなさいと歌うことを勧めます。この芭蕉布の歌は、沖縄県・奄美群島の特産品である布織物の芭蕉布を題材とした沖縄歌謡で長山洋子さん、夏川りみさん、森山良子さん、倍賞千恵子さんらのびやかな声の方がカバーしています。
暢子は東京準備しながら沖縄を噛み締める日々
- 暢子は共同売店で、東京引越しの準備をしつつ買い物
- 智の豆腐を食べる
- 家族で海に行き、団欒
- 暢子は賢三の包丁を譲り受ける
東京出発の日を目前に控え、山原の生活を噛み締めつつ気持ちの整理をしていきます。比嘉賢三と書かれたお父ちゃんの宝物の包丁を譲り受けて、暢子の料理人になるための修行の日々が始まります。
1972年5月15日沖縄本土復帰の朝、暢子は東京へ旅立ちます
バス停での回送シーンは比嘉家4兄妹の号泣名場面でしたね。暢子は小学校3年くらいでお父ちゃんが亡くなり比嘉家のために東京へ行こうとしていたんですよね。あれから9年くらいたって18歳の暢子は自分の意志で東京へ行こうとバス停にいるわけです。子供の頃から東京へ行きたいと宣言していたことが叶う別れです。

良子:歌子が言った通りだったね。あの時からずーっと幸せだったね。

歌子:うちらはこれからもっともっと幸せになる

暢子:うち大丈夫かな 東京で一人でやっていけるかな。悲しくて泣いたりしないかな。

優子:悲しかったらいつでも帰ってくればいいよ。暢子18年間ありがとうね
お母ちゃんにこんなこと言われたら泣くよね。優子さんは本当に優しいお母さんです。怒ることも時には必要だけど子供のことをこんなに信じられる母親は見たことがありません。子供を守るために口調が強くなることはあっても決して子供には怒らないすごいなって思います。子供から見た優子お母ちゃんは安心できる存在なんだと思います。
バスは出発し、暢子は悲しみから期待へ気持ちを切り替えます。

智:俺も行くから! 東京、絶対行くから待っとけよ!
まさかや〜、智も東京へ行くようです。サンセットバーガーでの修行を糧に商売を成功させて東京へ行くのでしょうか。
ちむどんどん25話ネタバレ沖縄山原最後の時間まとめ
幼少時代から高校卒業の18歳までの暢子の山原時代は幕を閉じました。来週からは東京へ引っ越ししてから暢子の修行編になります。まずは、賢秀と会って家を確保しなくてはいけないし、美味しいものを食べて仕事を探すっていう展開になるのでしょうか。
かなり具沢山の展開になりそうなので、目が離せません。